もともと端午の節句は、田植え前の女性のお祭りだった。
香りの強い菖蒲で、早乙女のけがれをはらう行事だった。
江戸時代、「菖蒲」が「尚武」に通じると、武士のあいだで男児の祝いにかわり、鯉のぼりも登場したのです。
そのため両神村の女の子の鯉のぼりは、早乙女のお祭りとも関係しているのではないかといいます。
一説によれば、両神村は山に囲まれ、水田が少ない。
かわりに養蚕が盛んになりました。
養蚕は蚕の世話、糸つむぎ、機織りと女性が中心になります。
女性が生計の中心にいたため、女の子を祝う祭りが受け継がれた。
その祭りに、新たな文化の鯉のぼりがミックスされ、女の子の鯉のぼりになったのではないかといいます。
両神村では五月の空に、女の子の鯉のぼりがますます元気に泳いでいるそうだ。